マイストーリー

警察官の父と、保険会社勤務の母の末っ子長男として
山口県下関市で生まれる(母も元婦警、姉2人)

父親の転勤により、下関の記憶は持たずに山口市へ

長女と8歳、次女と6歳離れていたこともあり「川で拾ってきた子」「宇宙人」という扱いを受けながら育つ。

姉と歳が離れていたこともあってか、幼少期から年上の人たちとの交流も多かった。

保育園から、小学校低学年まではチヤホヤされる環境で育つ
このころから、運動能力は中の下、お勉強は中の上くらいになる。


夢はプロ野球選手。

4歳の時に父から正座しろ。と言われ。目の前で剣道か柔道か選べ。と強要される。
柔道は痛そうだから。という理由で剣道を選択。結局痛い。

3年生頃からは少年団でドッジボールと野球を習う。
剣道はおなかが痛くなり、野球とドッジボールではレギュラーをとれず。

中学校に入り、いつからかイジメのターゲットになる。

そのおかげか、中学の記憶はほとんどなく、小中学校に友人と呼べる人間は数名になる。

部活の剣道で全国大会に出る。(出場することはなく正座要員)


時には、死と真剣に向き合うタイミングもあったが。

自殺する勇気もなく。イジメのターゲットが変わったことによりなんとなく終了する。


死と真剣に向き合ったおかげで、死ぬほどの勇気や決意をもてれば、もっといろんなことができるはずだ。と思える。

また、高校生以降はコミュニティの広がりにより、イジメは世界が狭いことでおきる。と考えるようになり、イジメられている人はその場から逃げてもいいんだ。と考えるようになる。


高校生活は、希望した公立の進学校への受験に失敗。

当時滑り止めで有名だった私立高校へ。

(今では有数の進学校になり、あなたたちみたいな人はもういない。と当時の担任に言われる)

高校時代はまさに青春を謳歌した。と自負している。

部活に馴染めず、私設のバスケサークルや野球サークルを作って大会に参加する。
また、アルバイトではスーパー、焼肉店、ガソリンスタンドなど全てのアルバイト先で時給アップする、大人に気に入られる働き者高校生。


バンドへの憧れもあり、バンド活動にもいそしむ。

楽器もできないくせに偉そうだったと思う。

卒業ライブでは地域全体を巻き込み、ライブハウスで盛大な卒業ライブを行い、なぜかあがりが生まれる。

バンド同様に芸能活動にも興味があり、カラオケのバックで流れる映像への出演や、森山未來さん出演のCMのスタントインもつとめる。
ここでも大人に気に入られ、予定のない出演も果たす。

文化祭では実行委員長。
副生徒会長から、あんなにチャラチャラした人は信頼できない。と却下されそうになるも生徒会長他、生徒会メンバーや友人の支持もあり実行委員長へ。

文化祭準備が当日の朝ぎりぎりまでかかるほど大変だったが、周りのみんなに助けられ無事、文化祭を終える。

尚、前述のとおり、謳歌しすぎたせいで、学校大好き人間なのに、数時間遅れの遅刻は当たり前、途中で帰るなどルールに収まれない子供だったせいで、2年生の時には校内放送で小松の名前は聞かない日はないほど校内放送で呼び出される。が、校内にいないこともしばしば…(友人たちからは体育の前には来ると思った。と言われていた。)


このころには友人の幅も大きく広がり、こっそり手に入れた原付バイクで行動範囲も拡げる。(免許はあり)


幼いころから、友人の家に泊まったりするのは当たり前で、家にいない時間も多い粗相もありそうな息子を面倒見てくれた両親には本当に感謝しかない。


夢はいつの間にかプロ野球選手からプロミュージシャンへ。
田舎から出たい!という定番の思いから。

高校卒業後、音楽の専門学校へ進学し憧れの福岡県博多へ。


今度は、大学生の皆さまも鉄板であろうひとり暮らしを謳歌する。


途中時給と、食事につられコンビニ夜勤のバイトをした結果、学校へ行かない日も作ってしまったのは反省。


この時に、自分よりも歌がうまい人も、見てくれがいい人もたくさんいて。
キラキラした世界へ行けるのは本当にほんの一握りだと気づかされ自分の能力の無さに卑屈になる。

ピアノとギターがちょっと弾けるようになる。

ゴスペルと出会う。


ゴスペルと出会った結果、歌の下手さにも気づいたが。おかげでニューヨークの教会で歌を歌う機会やグアム・サイパンへの洋上研修で歌を歌ったり南十字星を見るという貴重な経験をさせて頂く。


姉妹校などもあり更に交流の幅が広がる。



ちなみに、ニューヨークで妻とも出会う。


ゴスペルをやっていた先輩たちからメンバーの入れ替わりの際に誘われ、当時福岡でプロとして活動していたアカペラグループに入る。

まさに経験や価値観の違いから卒業直前に解散。自身の能力の低さも影響したかな?と今でも思う。

(この中のひとりは今でもプロとして活動していて、浜崎あゆみさんやキンキキッズなどのアーティストのコーラスとして参加しているすごい人)


学もコネもない少年は地元に戻る選択をせずに、キラキラした世界の延長上だ!と考えたアパレル業界へと歩みを進める。


社会を舐めていた少年は、歓迎会で勧められるがままに酒を飲み翌日、上司の電話で目覚め青ざめる。
休みます。と伝えるも、いいからとにかく来い。と言われ出社。誰からも怒られない恐怖を感じ、ここから社会人としての意識が芽生え始める。

配属された店舗は常に全国の売り上げランキングTOP5に入るお店で、もちろん個人の売り上げも全国TOPクラス。
売れない小松。とプレッシャーをかけられ続ける。振り返った時には、可愛がられており、愛情だったと気づいていますが。

おかげさまで、退職までには全国週間2位、月間3位という成績も収める。


退職理由は、以前から休みを伝えていたにも関わらず、繁忙期だから。という理由で友人の結婚も祝えないのか!と、休みがとれなかったことと、華やかさの裏で労働時間に対してあまりにも薄給であること。お客様からいやな顔をされ続けたことによる人間不信。


その後、求人情報の給与と待遇にひかれ、THEブラック企業へ!

入社までは優しく、全体研修でチームでの45キロ走や、声が枯れるまで社訓を言い続ける。という軍隊方式で、研修後はテレアポでの時刻の日々を送る。求人情報通りの待遇は無し。デスクについたとたん吐き気がするほど嫌になる。

そんな会社も6か月後には会社がなくなる。


妻に来てもらうはずだった福岡から、一転、意を決して裸一貫愛知県名古屋市へ移り住む。

(バイクがあったので、フェリーなどを使い実質名古屋までバイク旅、途中大雨に打たれる)


仕事無し、友人ほぼ無しのゼロからの生活が始まる。


生活のために運送、運搬、軽作業などの日雇いバイトをする。


ひとりの時間が多く知っている場所もなく、ちょっと心を病む。


資格もない若干23歳、手元にあるのは販売能力だけ。ということで薄給という理解はありつつもスタッフ募集していたTシャツ屋へ。


全国トップクラスの販売力を誇っていた店舗とのギャップの大きさにスタッフともそこまで馴染めず。

そんな中、新たな求人を発見。

洋服屋のスタッフルームに行くような階段を上った先にある洋服屋と出会う。

洋服屋が洋服屋に間借りするというトリッキーな発想の店舗。
接客嫌いな人が多いから、商品パソコンで選んでもらう。という更にトリッキーな店舗にかっこよさと面白さを感じ、面接のうえ無事採用される。
(これはすごいマネジメントとブランディングの賜物)


隠れ家ショップだった為、交友関係はそこまで広がらなかったが、ネットショップもあったのでフォトショップや、イラストレーター、ECサイト、カメラの扱い方などを覚える。


1階の洋服屋の撤退に伴い、ショップが表通りへ進出。

ベースは一見さんお断りの隠れ家感は維持しつつも話題になったことや、ご近所付き合いも増える。
これをきっかけに名古屋での交友関係が加速度的に拡がっていく。


名古屋にも馴染んできたところで遠距離恋愛3年、同棲3年した妻と結婚する。
移り住んだ時にはお友達ほぼゼロだったところから結婚式の2次会には100名近くのゲストが参加してくれる。


ショップが表通りに移ったことや、色んなことが作用してのんびりした営業スタイルだったころと比べ激務になる。

1日の最長勤務時間は48時間。

お客様や仲間は好きだったけれど、環境に耐えきれずに退社を決意。

この期間に出会ったたくさんの人に助けられながら謎のフリーランス活動をする。

その情報がとあるショップのオーナーの耳に入り、アパレル業の負を解決したい。というオーナーの思いに共感。推薦のもと新店舗の立ち上げ店長として雇われる。

星が丘というハイソな街で、店長として従事。

仕入れから販売、管理と運営の難しさや、生々しさを学ぶ。

オープン2か月後にシャツ2枚程度を残され泥棒に入られる。

なぜか指紋をとられる。

この影響も少なからずあり、星が丘店は閉店。
マネージャー的にその他店舗のサポートに回る。

自分ではスーパーサブと呼ぶ。


長女誕生。


東京歌舞伎町の店舗の店長が街に馴染めず退社する。

その間、店長代理として歌舞伎町店へ。


家族と会うのは週末だけ、週5日間を新宿のホテルで過ごす生活が始まる。

営業時間は18時から3時の逆転生活。

お客様は、夜のお仕事の方が多く少しグレーな世界に触れる。

身を守るために、街の人たちと仲良くなる。

東京という街の情報の早さに驚く。

あと、ネズミ(でかい)があたりまえに走り回っていることに驚く。

営業時間の影響から、東京では観光もできずほぼひとりぼっち生活。

トイレがない店舗のため隣にある朝方までやっている串揚げ屋の大将と仲良くなり、トイレを借りる関係になる。

串揚げ屋が撤退することになりラーメン屋ができる際にはトイレの引継ぎをされる。

ラーメン屋にも通う。


地元、山口で地元の30歳を集めた大同窓会、三十路式をやる。と連絡が入る。

先導しているのは山口で市議会議員になったという同級生。

名前は聞いたことあるし、同級生であることは知っていたけど交わることなくきたのに30歳で交わることになる。

名古屋、東京にいながら出席者を募ったり、映像、広報のサポートをする。

150名近くを集めた会の影の存在になる。

このタイミングでなぜか地元の仲間が増える。

また、同時期に30歳の節目。ということで謳歌していた高校の同窓会を企画する。

全員参加!を目指したが最終的には当時関りのあった恩師含め50名程度を集める。

中学校の同窓会もあったそうだが、前述の理由も含め不参加。


この間、新幹線移動や、ひとりのホテル(のちに社宅)など、考える時間が増える。


同世代とたくさん関わったことも影響してか、子供の未来を考えたときに、果たして今のままでいいのだろうか?という疑問が浮かぶ。


その発想の枠が大きくなり、未来の年表に影響され。

少子高齢化が進んでいく子供たちの未来や地方の過疎化を憂うようになる。


こういった負を解決できるような事業はないか?と画策しはじめる。

開いてみると、自分のやりたいことは行政とぶち当たることが多いことに気づく。


そんなことを30祭や同窓会で久しぶりに連絡をとるようになった生徒会長につぶやく。

するとこれまた30祭を先導していた、地元市議会議員から政治家秘書という選択肢を与えられる。


東京にいたということから、半袖短パンひげ面で議員会館へ。

止まらない脇汗のなか、場違い感マックスで面談するも無事採用される。

アパレル企業には大変な恩義を感じていたので半年後の登用を認めてもらい引継ぎまで勤め上げる。


はじめのうちは名古屋浜松間を新幹線で通勤する。
家も決まり家族そろって静岡県浜松市へ移住。
5つ目のホームグラウンド。

さすがに、知らない土地でも馴染めるメンタルを持ち始める。

(家族に感謝)


秘書業とは?という知識もないまま車もなく、道も知らないペーパードライバーながら代議士を乗せて浜松市内を縦横無尽に移動。
会所を周りお酒が好きな市民性であることに気づく(やいそー)

初めての浜松まつりはルールや雰囲気もわからないまま参加。

陣屋をスーツに法被姿で、練り歩く。
2日目は失礼だと感じたので、少し正装に近づけた恰好になる。

コミュニティ作りの為に、浜松青年会議所に加入する。

多くのまちづくりに思いを持つ人たちと出会う。

ここでもお酒が好きな市民性であることに気づく(おいしょお!)

担当区は南区。

地域課題を地元自治会をはじめとした皆さまから集める。

あー、源馬君とこの。と、なんとなく言われるようになる。


関係各所の国政補欠選挙や、地方自治体議員選挙に参加。

もう知らない土地とかむしろ楽しみしかない。

このころには、完全に知らない土地も車で走れるようになる。(運転は下手)


選挙制度の難しさに気づく。

現在は独り立ちし、空き家問題など社会課題の解決に向けて運動を展開。

浜松市の課題解決のために日夜汗をかいています。

過去の経験から多様性への理解や、いじめ問題への向き合い方、賑わい創出なども
共通認識をもって取り組んでいます。